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『最後の授業』の名言から学んだ「明日があるさ」よりも「一寸先は闇」。いつ死んでも悔いのない人生送ってみましょう

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『最後の授業』の名言

わたしたちは毎日こう思う。(ああ、時間はまだたっぷりある。あす勉強しよう)とね。そのあげくが、ごらんのとおりだ・・・・・。

『最後の授業』から変えられる行動

 

「明日があるさ」とつい先延ばしにしてしまう人が

  • 「一寸先は闇」を考えるようになる
  • ”今”を一生懸命生きるようになる
  • 「わが人生に悔いなし」と言える

 

『最後の授業』の時代背景

『最後の授業』は1873年に刊行されたドーデの短編集『月曜物語』に収録されている一話です。

 

話の舞台になるフランスのアルザス領はドイツとフランスの国境付近にあるために、戦争の状況によってはフランス領になったりドイツ領になったりしてそれによって言葉も変えるように強制されてきました。

というわけでアルザスにはドイツ系とフランス系の人々が住んでいて、ドイツとフランスのものが混じりあった独特の方言や習慣があるそうです。

 

『最後の授業』が書かれた1873年は普仏戦争でフランスが敗北し、アルザスはドイツ領になりフランス語は禁止言語になりました。

普仏戦争とは

 

1870年7月19日にプロシアとフランスの間で起こった戦争。

※プロシア:統一前のドイツにあった多数の王国の中で最大の力を持った王国。

スペインの王位継承問題がもとになって始められた戦争。

プロシア軍の圧倒的攻勢によりパリが包囲されて、フランスは和解条件としてアルザスとロレーヌの一部をプロシアに譲る

アルザスは

  • 1914年~1918年の第一次世界大戦中はフランス領
  • 1939年~1945年の第二次世界大戦中はドイツ領
  • 戦後フランス領に戻る。

『最後の授業』のあらすじ

フランス領アルザス地方に住むフランツ少年は学校が嫌いで、その日の朝も遅刻して学校に向かって走っていました。

遅刻しそうな少年

学校になっているアメル先生の家の庭に飛び込んで恐る恐る教室に入っていくと、いつもは遅刻に厳しいアメル先生がなぜか怒らずにフランツ少年に席に着くように促しました。

 

そしていつもはいない元村長や村の老人たちが教室の後ろに座っているのを見つけ、フランツ少年は何かいつもと違う雰囲気を感じました。

教室

 

アメル先生は全員の前で話し始めました。

アメル先生
アメル先生

私がここで、フランス語の授業をするのは今日で最後です。

ベルリンからの命令で、アルザスとロレーヌの学校ではドイツ語しか教えてはいけないことになりました。

これが、私のフランス語の、最後の授業です

これを聞いたフランツ少年は強い衝撃を覚え、今まで学校をさぼって時間を無駄にしていたことを後悔し今までの自分の行動を恥じました。

 

アメル先生は話し続けます。

アメル先生
アメル先生

フランス語は世界でいちばん美しく、はっきりした言葉です。

だからフランス語を忘れてはいけません。

 

生徒も大人たちも、アメル先生の最後の授業を今までで一番真剣に聞いていました。

 

正午になり授業の終わりを告げる教会の大時計が鳴り響きました。

時計台

アメル先生はその音を聞くと、苦しそうに黒板に一言を書いて「最後の授業」が終わりました。

フランス万歳!!

名言の状況

フランツ少年はアメル先生にフランス語の動詞の規則を言ってみるように言われました。

でも、今まで真面目に授業に出ていなかったフランツ少年には答えられず、恥ずかしくてうつむくしかできませんでした。

涙をこらえる男子

 

アメル先生はフランツ少年をじっと見つめて言いました。

 

アメル先生
アメル先生

先生は君を怒りはしない。

なぜならもう十分罰を受けたはずだからね。

時間はあるから明日覚えようとしようとしていると、今日のようなことになってしまう。

プロシア人たちにこう言われるかもしれないね。

“おまえたちはフランス人だと言いはっていた。なのに自分の国の言葉もろくに読み書きできないじゃないか!”

これは君一人の責任じゃなくて、きちんと指導しなかった私たちの責任でもあるのだよ

この作品は当時の時代背景を知らないと誤解してしまうかもしれません。

作者のドーデはフランス人であったので、フランスの一部のアルザス地方をドイツに奪われドイツ語を押し付けられるという「ドイツ=悪」という観点からこの作品を書いています。

そしてフランスの正当性を訴えるために「フランス語を忘れない限り、フランス人の誇りは消えない」「フランス万歳!」と生徒たちに教えるアメル先生を登場させています。

 

しかし、歴史から見ればアルザス地方は元からフランス領だったわけでもないし、アルザス人の母国語はフランス語でもないのです。

 

アルザス地方にはドイツ語の方言が入り込んでいたので、アルザス人の母国語とはフランス語とは異なる「アルザス語」です。

つまり、フランツ少年たちが学んでいるフランス語とは「外国語」なんです。

 

アルザス人にとってのフランス語とドイツ語とは戦争の状況に左右される強いられた外国語だったのです。

 

何も知らずに読むと、「ドイツがフランスから奪ったアルザス人にドイツ語を押し付けている」ように解釈されますが、実はフランスも全く同じことをしているんですね。

 

1番の被害者は2国の政治に振り回されたフランツ少年らアルザス人でしょう。

名言の本質

そのような時代背景を考慮に入れつつ、この名言の本質を考えてみました。

 

フランツ少年はアルザス地方がそのような2国間の政治に振り回される場所だとは知りません。

なので、フランス語がなかなか覚えられなくても「時間はあるしゆっくり覚えればいいや」と学校をさぼって遊んでばかりいました。

その結果、明日からフランス語が使えなくなる日になっても文法すら言うことができませんでした。

 

そして、それは大人たちも同じことでした。

親は家が貧しいので、子どもたちを働きにいかせることが多かったのです。

 

アメル先生も勉強の代わりに庭の水まきをさせたり、マス釣りに行くから学校を休みにしたりと時間があることでやるべきことを後回しにしがちでした。

何しろアメル先生は40年間フランス語をこの場所で教えていたので、アルザスはもう完全にフランスの領土だと思っていたのかもしれません。

 

 

だからこのような場所においても「明日は必ず来る」と油断してしまっていたのかもしれません。

つまり、明日が必ず来るという保証はどこにもない。

だから、「今できることは後回しにせずやるべきことをやって、その日を精一杯生きることが大切」だということです。

 

明日いきなり状況が変わって、右往左往したくないですからね。

行動の応用

私もつい後回しにしがちな性格なので、この名言は効きますね。

やはりその背景には「明日は必ず来る」と感じていることがあるのではないかと・・・・

 

でも、一寸先は闇というように、ここから出たら交通事故に遭うかもしれないし、誰がどうなるかなんて誰にも分かりません。

そんな時に「あの時やっておけば・・・」なんて思うような最後は嫌ですね。

 

いつどうなってもいいように、その瞬間を悔いなく過ごしていくことの積み重ね が大事なのではないかと強く感じました。

最後の授業 (ポプラポケット文庫)

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